幼い頃の記憶では、生家の庭に貸家が一軒あり、傍に芭蕉の木と胡桃の木があった。
親は芭蕉の木を「バナナの木」と呼んでいた。バナナは貴重な頃だ。いつバナナが食べられるのかと期待していたが、芭蕉の木は何年経ってもバナナは実らなかった。
後年になって芭蕉の木はバナナの木とは全く別の植物だと知った。
その芭蕉の木もいつの間にか枯れてしまった。店子が根本に油のようなものを撒いて枯らしたと母は言った。
胡桃の木の下に行くと、青い実が毎日のように落ちていた。幼い手には充分すぎる重さと硬さに満足した。
炭火で炙り微妙な力加減で金槌で割る。今でもその時の感覚を指が覚えている。胡桃は錐の先で取り出し食べた。
ある年胡桃の木にアメリカシロヒトリが発生した。刺されると痛みと腫れが酷かった。貸家の店子の抗議に父はあっさり伐ってしまった。
父は食べられない木には興味がなかったのだろう。バナナの採れないバナナの木もどうでもよかったのかもしれない。甘党の父には胡桃の木にも興味がなかったのだ。
父は柿の木の小枝を貰ってくると器用に接木をするなどし、甘柿ばかりを幾種類も庭に増やしていった。
梅、枇杷、無花果、葡萄、プラム、銀杏など庭に次々に実のなる木を増やしていた。そんな父もいつ頃からか花にも関心が向いていった。
トロロアオイだの、芙蓉などと花の名前を父の口から聞くようになったのは僕が高校生ぐらいになっていたと思う。
(2022.8.8)