77年前、25歳になっていた男は蝉時雨の中で玉音放送を聴いていた。雑音で何を言っているかよく聴き取れなかった。
その後、日本は負けたと聞かされるのだか、男はどう思ったのか。俄かに信じられなかったのか、信じたくなかったのか?
ついに男は戦地に赴くことはなかった。肺結核に罹った男は徴兵検査で丙種合格を告げられたのだった。国民兵役とは聞こえはよいが要は日本人として一人前ではない、失格者の烙印を押されたということだ。
男は絶望しかなかった。すでに兄の1人は南方で空母と共に海に沈んでいた。兄は兵隊として国の為に亡くなった。それに比べて、男は目標を失った屍であった。
いつものように布団に横たわり天井を見つめていた。立ち上がる気力も体力もなかった。当時の結核は死病に等しかったのだ。
このまま俺は死んでいくのか。何もしないまま、兄のような華々しくもなく、誰にも惜しまれることもなく亡くなるんだと、毎日死ぬことばかりを考えていた。
この日も両親と二人の姉は畑に出かけ留守だった。たったひとり男は悶々としながら暗い顔を晒していた。
それでも男の嗅覚はまだしっかり働いていたようだった。きな臭い匂い。何か燃えている。誰か台所の火の始末を怠ったのた。気づいだ時は火はかなり勢いづいていた。
さっきまで死にたいと言っていた男である。立ち上がる力はないと思いこんでいた男である。「このままでは死ぬ」と裸足のまま外にどびだしたのだった。
何ヶ月ぶりの大地に足をつけ、男は、「いつまで寝ていてもどうなるものでもない」と心に強く誓ったのだった。
男はその後、縁あって一つ歳上の女と世帯をもち三人の子宝に恵まれた。
その男が僕の父である。父には若い頃の写真が一枚もない。空襲の為か自ら燃やしてしまったのか定かではない。
父の若かりし頃を知る友人が家を訪ねてくることもなかった。父はほとんど昔のことを語らなかった。よほど辛い思い出しかなかったのかもしれない。
ふと考えることがある。父が戦地に赴いていたら、結核で死んでいたら、あのときの火事で助からなかったら、僕はこの世に存在していないことになる。
その父も91年生きた。胃を3分の2を切り、決して頑健な身体ではなかったが、僧として権大僧正まで上りつめたのだった。
2022.8.15 #エッセイ No.6