小学校2年か3年の春の午後だった。舗装もされていない裏道を3歳上の兄と連れ立って歩いていた。半ズボンにサンダル履きだった。
前方に犬が5、6頭群をつくり道を塞いでいるのが見えた。その中の一頭は一際大きく、ボス犬と思われた。
足がすくみ立ち止まった。兄が言った。
「大丈夫、笑顔で通り過ぎたら襲ってはこない。兄ちゃんが一緒だから大丈夫」
兄の言葉に勇気が湧いた。恐怖心を抑え笑顔をつくり兄の歩みに従った。
2、3歩進んだだろうか、ボス犬の威嚇に共鳴したように仲間の犬が唸り声をあげ一団となり向かってくるではないか。今にも飛びかかろうとする勢いだ。
踵を返し、元来た道を一目散に走った。と同時に僕の半ズボンの尻にボス犬の牙が突き刺さった。
その時、兄は道の脇のドブ板を越え塀に身体を寄せていたそうだ。
突然視界から兄は消え、僕ひとりが犬の標的になってしまったのだった。
それ以来、犬は苦手だ。ことに大型犬は見るだけで恐怖心が湧く。
だから日常はともかく仕事の時には、恐怖心を消す裏技を使ってから臨むことにしている。
その家のリビングに通された時も裏技の力のお陰で茶色の大型犬がいることにさほど気にならなかった。
茶を飲んでいると、ゆるゆると犬は近づいて僕の脇に座った。大きな犬だ。毛は長く軽ろやかにカールされ光っていた。
妙な感覚だ。ここにいるのは犬なのか?まるで人間である。しかも何もかも知り尽くした長老の空気感を漂わせていた。
「よく来たな。ゆっくりしていきなよ」
と静かな声で長老は出迎えてくれたのだった。
「犬みたいじゃないですね」
「そうなのよ、犬じゃないのよ」
女主は笑って答えた。
「ほんと、そうですね」
犬との距離が縮まった瞬間であった。
2022.8.11