ご挨拶

内面と対峙することで私は救われてきました。私自身が救われたこと、気づいたことをご縁のある方にシェアしています。

最初から変えられないと諦めないで、いっしょに解決策を探してゆきませんか。気づくことで道は開くはずです。

ひと休みして自分と向き合ってみましょう。トラブルの原因は心の中に存在します。お話することで解決への糸口が見えてくると思います。一人で悩まず一緒に解決の道を探っていきましょう。

仕事の内容

○祈願

各種の祈願を行います。
子供が欲しいのだが出来ないといったご相談をよく受けます。先祖供養をすることで希望が叶う方が多くおられます。試してみる価値はあると思います。ただ男女の産み分けはやったことはありません。

料金 
一件 35,000円(税込)

○供養

ご先祖様は外側に存在するのではなく、私たち一人一人の無意識の中におられます。ご先祖様から引き継いでいる思い癖を手放すこと、無意識を解放することを目的に行っています。
亡くなった方の思いや声があればお伝えします。ただし金庫の暗証番号などを訊ねられてもお答えできません。

料金
一件 35,000円(税込)

父方で一件、母方で一件などとお考え下さい。

○浄化

土地、建物の浄化になります。
土地や中古物件には以前に生活していた人の思念が残っています。
新しい生活、お仕事を始める前に浄化を行い古い思念を消し去ることをお勧めします。
パソコンに例えれば初期設定するとお考え下さい。

料金
個人 一件 35,000円(税込)
法人 一件 50,000円(税込)〜

○個人セッション(対面)

夫婦、親子などの家庭問題、恋愛、結婚、就職、職場などさまざまなご相談をお受けしています。
希望すればエネルギー調整なども行います。
経営者の方は採用、人事等、社員の適正についてお話出来ると思います。

2時間 12,000円(税込)

○電話相談

電話での対応になります。対面ではないのでエネルギー調整などはおこないません。

料金
30分まで  3,000円
60分    5,000円
90分           7,500円
120分        10,000円

※要予約、電話相談は13時以降となっています。

電話相談以外は出張が基本となります。
出張の交通費、遠方の場合は宿泊費をいただきます。

敗戦

77年前、25歳になっていた男は蝉時雨の中で玉音放送を聴いていた。雑音で何を言っているかよく聴き取れなかった。

その後、日本は負けたと聞かされるのだか、男はどう思ったのか。俄かに信じられなかったのか、信じたくなかったのか?

ついに男は戦地に赴くことはなかった。肺結核に罹った男は徴兵検査で丙種合格を告げられたのだった。国民兵役とは聞こえはよいが要は日本人として一人前ではない、失格者の烙印を押されたということだ。

男は絶望しかなかった。すでに兄の1人は南方で空母と共に海に沈んでいた。兄は兵隊として国の為に亡くなった。それに比べて、男は目標を失った屍であった。

いつものように布団に横たわり天井を見つめていた。立ち上がる気力も体力もなかった。当時の結核は死病に等しかったのだ。

このまま俺は死んでいくのか。何もしないまま、兄のような華々しくもなく、誰にも惜しまれることもなく亡くなるんだと、毎日死ぬことばかりを考えていた。

この日も両親と二人の姉は畑に出かけ留守だった。たったひとり男は悶々としながら暗い顔を晒していた。

それでも男の嗅覚はまだしっかり働いていたようだった。きな臭い匂い。何か燃えている。誰か台所の火の始末を怠ったのた。気づいだ時は火はかなり勢いづいていた。

さっきまで死にたいと言っていた男である。立ち上がる力はないと思いこんでいた男である。「このままでは死ぬ」と裸足のまま外にどびだしたのだった。

何ヶ月ぶりの大地に足をつけ、男は、「いつまで寝ていてもどうなるものでもない」と心に強く誓ったのだった。

男はその後、縁あって一つ歳上の女と世帯をもち三人の子宝に恵まれた。

その男が僕の父である。父には若い頃の写真が一枚もない。空襲の為か自ら燃やしてしまったのか定かではない。

父の若かりし頃を知る友人が家を訪ねてくることもなかった。父はほとんど昔のことを語らなかった。よほど辛い思い出しかなかったのかもしれない。

ふと考えることがある。父が戦地に赴いていたら、結核で死んでいたら、あのときの火事で助からなかったら、僕はこの世に存在していないことになる。

その父も91年生きた。胃を3分の2を切り、決して頑健な身体ではなかったが、僧として権大僧正まで上りつめたのだった。

2022.8.15 #エッセイ No.6

隕石

その隕石は黒々とし肌はつるりとしていた。大気圏に突入したときに表面が溶けたのだとしたら、そんなものかと思った。

縦は70センチ、横60センチ、高さ40センチといったところか。

足を踏ん張り力を入れ動かそうとしてみたがビクともしない。
マンションの床を貫き都心の地下に根を張っているようだった。

数百万年だたか数千年前だったか仔細は忘れたが、星が爆発、その欠片がアメリカに落ちてきた。それを船で運んできたそうだ。

先輩のチャネラーにはこの隕石はよく喋るらしい。故郷の星のことなど懐かしく話すのだという。

当時僕はこの隕石のある部屋を時々、主の留守に自由に使わせてもらっていた。

その日の昼下がり、遊び心で隕石に額をつけてみようと考えた。石の冷たさがとても心地よい。目を瞑った。隕石は僕にも何か話しかけてくれないだろうか。僅かな期待を込めながら。

その時だった。地震だ。思わず額をあげ部屋を見渡した。地震は治まっていた。先ほどの揺れはかなり大きかったのに不思議に思った。

再び隕石に額をつけた。やっぱり揺れている。慌てて立ち上がり窓から外をみる。街を行き交う人は慌てている様子もなかった。

テレビをつけてみた。見慣れた芸人が何か喋って共演者を笑わせていた。NHKに切り替え、速報のテロップが出るのを待ってみた。かなり大きな地震である。今か今かと待ってみたがテロップはついに流れなかった。

隕石は相変わらずどしりと部屋の真ん中に鎮座していた。誘われるように傍らに座り、改めて隕石に額をつけた。

グラグラと部屋全体が大きく揺れている。額を離すと収まる。つけると不思議とまた揺れているのだった。隕石の上部の凹みを指で確かめながらしばらくボーッとするしかなかった。

隕石は主の元を離れ人手に渡ってしまったと風の噂で聞いた。隕石の主ともいつの間にか疎遠になってしまった

(2022.8.12)

犬のこと

小学校2年か3年の春の午後だった。舗装もされていない裏道を3歳上の兄と連れ立って歩いていた。半ズボンにサンダル履きだった。

前方に犬が5、6頭群をつくり道を塞いでいるのが見えた。その中の一頭は一際大きく、ボス犬と思われた。

足がすくみ立ち止まった。兄が言った。

「大丈夫、笑顔で通り過ぎたら襲ってはこない。兄ちゃんが一緒だから大丈夫」

兄の言葉に勇気が湧いた。恐怖心を抑え笑顔をつくり兄の歩みに従った。

2、3歩進んだだろうか、ボス犬の威嚇に共鳴したように仲間の犬が唸り声をあげ一団となり向かってくるではないか。今にも飛びかかろうとする勢いだ。

踵を返し、元来た道を一目散に走った。と同時に僕の半ズボンの尻にボス犬の牙が突き刺さった。

その時、兄は道の脇のドブ板を越え塀に身体を寄せていたそうだ。

突然視界から兄は消え、僕ひとりが犬の標的になってしまったのだった。

それ以来、犬は苦手だ。ことに大型犬は見るだけで恐怖心が湧く。

だから日常はともかく仕事の時には、恐怖心を消す裏技を使ってから臨むことにしている。

その家のリビングに通された時も裏技の力のお陰で茶色の大型犬がいることにさほど気にならなかった。

茶を飲んでいると、ゆるゆると犬は近づいて僕の脇に座った。大きな犬だ。毛は長く軽ろやかにカールされ光っていた。

妙な感覚だ。ここにいるのは犬なのか?まるで人間である。しかも何もかも知り尽くした長老の空気感を漂わせていた。

「よく来たな。ゆっくりしていきなよ」

と静かな声で長老は出迎えてくれたのだった。

「犬みたいじゃないですね」

「そうなのよ、犬じゃないのよ」
女主は笑って答えた。

「ほんと、そうですね」

犬との距離が縮まった瞬間であった。

2022.8.11

雄猫の麻呂は我が家に来て早14年、おそらく15歳にはなっていると思う。かなりの年寄りである。

この頃は一日中寝てばかり、外に出たかと思えば、この暑さに耐えられず、すぐに戻ってくる。

そんな麻呂の目の上に栄光の傷痕がある。武闘派だった頃の勲章だ。隣町から遠征してくる宿敵、雄猫のオザワとの格闘は熾烈を極めた。そのオザワを見事打ちのめした証なのだ。

その頃を思うと、目の前の麻呂はなんとも痛ましい。獣医に診てもらう回数も少しづつ増えるばかりだ。

麻呂は腸に問題があるらしい。獣医曰く、ちょっとした不運が重なった結果、骨盤の前で腸が膨張し便が詰まってしまうらしい。

効くと聞けば、専用の餌を与えてみたが拒絶、サプリメントなどいろいろ飲ませようと試みるのだが、麻呂は巧みに排除し決して口にしないのである。

したがって定期的に食欲がなくなり、体力も落ち獣医のお世話になることになる。

とはいえ麻呂の尊厳を思うと、出来るだけ獣医に連れて行きたくない。治療の「掻き出し」の技は感服するものがあるのだが、目を覆いたくなる荒療治だからだ。

診察台に乗せると、先ず爪を切り、首にエリザベスカラーを装着する。その首と足を抑えておくようにと獣医は僕を見て告げるのだった。

まさか我が家の猫の治療とはいえ、治療の補助をすることになるとは想像もしていなかった。

麻呂の目を見ながら抑えてくださいと言われたものの、掻き出しの痛みに麻呂の抵抗は激しい。目を見てやる余裕などない。

獣医の指が麻呂の尻の穴に入ると武闘派だった頃の威嚇を始めた。逃げようと前足を懸命に動かす。こちらも力が入る。

首なのか胴なのか両手で力任せに掴んでいるしかなかった。格闘していると突然エリザベスカラーが外れてしまった。

四日分は溜まっていたそうだ。麻呂はサッパリしたのか穏やかな表情に戻っていた。

その夜、僕は麻呂のヒーリングをすることに決めたのだった。幸い麻呂はヒーリングは拒まなかった。

両手をそっと脇腹に置くと麻呂は僕の目をゆっくりと見てそのまま目を瞑った。

翌朝、妻が麻呂のトイレの砂を混ぜながら三本出てたよ。と嬉しそうに言った。

その次の朝も二本出てたよ。と妻の声。

よかった。これからも毎日麻呂のヒーリングを続けようと誓ったのだった。

2022.8.10

H先生

小学校三年生の夏、生まれて初めて絵葉書をもらった。裏に長崎の平和像が印刷されていた。送り主は担任のH先生だ。

H先生は親たちの間では評判が悪かった。当時はまだ「アカ」と揶揄されていた時代、歪んだ教育をされるのではと親たちは見ていたようだ。

僕は親たちの声を聞いていたから、担任がH先生とわかったときは泣きたいほどの落胆だった。

今思えば、H先生の授業は独特だったと思う。1時間目の始まる前に被爆者の子供の詩を読んで聞かせたり、原爆の怖ろしさを熱心に聞かせてくれた。

正直、その内容の千分の一も理解出来なかったと思う。しかし今でも彼女の真摯な眼差しと思いが伝わってくる。

おそらくH先生はあの年、長崎の平和祈念式典に行かれて絵葉書を買ったのだろう。それを僕に送ってくれたのだった。

こうして60年前の記憶を辿っていながら、あの絵葉書はクラス全員に送ってくれたものとずっと思い込んでいた。

突然思い出したのだ。母が暑中見舞いの葉書を目の前に置くと、H先生に出すようにと半分強制的に命じたことを。

そうかH先生は長崎から戻ってみたら僕の暑中見舞いの葉書をみて返事を書いてくれたのだった。

H先生は今も存命だろうか?生きていたら、今日の式典に参加されただろうか。

長崎の平和像を目にすると、必ずH先生と過ごした頃が懐かしく思いだされる。
(2022.8.9)

庭のこと

幼い頃の記憶では、生家の庭に貸家が一軒あり、傍に芭蕉の木と胡桃の木があった。

親は芭蕉の木を「バナナの木」と呼んでいた。バナナは貴重な頃だ。いつバナナが食べられるのかと期待していたが、芭蕉の木は何年経ってもバナナは実らなかった。

後年になって芭蕉の木はバナナの木とは全く別の植物だと知った。

その芭蕉の木もいつの間にか枯れてしまった。店子が根本に油のようなものを撒いて枯らしたと母は言った。

胡桃の木の下に行くと、青い実が毎日のように落ちていた。幼い手には充分すぎる重さと硬さに満足した。

炭火で炙り微妙な力加減で金槌で割る。今でもその時の感覚を指が覚えている。胡桃は錐の先で取り出し食べた。

ある年胡桃の木にアメリカシロヒトリが発生した。刺されると痛みと腫れが酷かった。貸家の店子の抗議に父はあっさり伐ってしまった。

父は食べられない木には興味がなかったのだろう。バナナの採れないバナナの木もどうでもよかったのかもしれない。甘党の父には胡桃の木にも興味がなかったのだ。

父は柿の木の小枝を貰ってくると器用に接木をするなどし、甘柿ばかりを幾種類も庭に増やしていった。

梅、枇杷、無花果、葡萄、プラム、銀杏など庭に次々に実のなる木を増やしていた。そんな父もいつ頃からか花にも関心が向いていった。

トロロアオイだの、芙蓉などと花の名前を父の口から聞くようになったのは僕が高校生ぐらいになっていたと思う。

(2022.8.8)